光源氏の役職は何だったのか?(平安時代の貴族の役職)

源氏物語の中に出てくるスーパースター、光源氏。
美男子で頭がよく、帝の息子だという庶民からは雲の上のお方。上流階級の貴族です。

話に出てくる源氏の君は、女性のもとに通ったりして、ほとんど仕事の話題がありません。

時々、内裏(だいり)で宿直(とのい)をしたり、行事に出たり。という場面もありますが、一体どんな役職について、位はどうだったのか?みていきたいと思います。

貴族の位について

貴族達は国の中心となる大内裏(だいだいり)にやってきてお勤めをしていました。その中で各々が司る管轄内で仕事をしていましたが、その中でも位が決められています。順番は上から、

一位、二位、三位、四位・・・

と続きます。また、一位の中にも、正一位、従一位と分けられています。ですので、

正一位、従一位、正二位、従二位、正三位、従三位・・・

となります。

 

ちなみに一位は太政大臣となった人が与えられます。
つまり太政大臣にならなければ一位にはなれないということです。

二位ですら、左大臣、右大臣、内大臣しか与えられません。。

正一位

従一位

太政大臣
正二位

従二位

左大臣・右大臣・内大臣

普通にせっせと仕事を頑張っているだけでは到底一位どころか、二位にもいかないわけです。

ということで、貴族達はせっせと娘を宮中にあげ、帝の子供を産ませて、その子供の後見人となり、大臣になろうとしていたわけです。

光源氏(17歳)の役職

さて、源氏の君は12歳で元服をしてから(桐壺)、その後つぎのお話し(帚木ははきぎ)で一気に17歳にまで成長しています。ここでの源氏の君は近衛中将(このえのちゅうじょう)という役職になっています。

近衛府(このえふ)というのは、大内裏の各所にある門を警備したり、帝やその他、位の高い人達を守るガードマンのようなお仕事です。

どうも近衛府というのは出世コースだったらしく、源氏も帝の子供ですので当然ながら近衛府に配属されたのでしょう。

この近衛中将というのが、どの官位に当たるかといいますと、「従四位」に当たります。

ところで、殿上人(てんじょうびと)という言葉を聞いたことがおありかと思いますが、これは五位以上の官位の人のことを言うそうです。

17歳にしてすでに、殿上人。四位までになっていますから、普通の貴族からしても雲の上の御方。という存在です。

むしろ、源氏の君からしてみれば、幼い頃から、使用人を除けば、殿上人ばかり。という環境だったわけですね。エリート中のエリート。帝の息子。最早、だれにも何もこの方には手出し口出しできません・・・(;´Д`)

都に戻った光源氏の役職は?

源氏の君はどんどん順調に昇進していきます。しかし、帝の妃と関係を持ってしまったことにつけこまれて、以前より恨みを持っていた弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)に圧力をかけられたことで、自ら都落ちします。

須磨へ。

須磨から明石へ移り、都落ちしてから2年と少し過ごした頃、帝から戻ってくるように辞令がきます。

帰京した際の官位が大納言(正三位)になっています。

それから間もなく兄である帝は退き、新しい帝がたつことになりました(新しい帝は実は源氏と藤壺の女御の子供である)

そこで与えられたのが、内大臣!!なんと、都落ちしたのに、二位の位まで返り咲きました!

須磨や明石で耐えしのんだ甲斐がありましたね。

いつもちやほやされて、素晴らしい暮らしをしていた源氏ですから、プライドも傷つき、男として情けなく辛かったことでしょう。明石の君と関係してしまうのも仕方ない??か。どうかな・・・やっぱり紫の上は可哀想だけど。

頂点を極めた光源氏

ここからは源氏の時代で、どんどんと権力を持ち、立派な六条院を建て大事にしている女達を呼び寄せて、栄華を極めます。太政大臣にまで登りつめ、39歳には、准太上天皇の待遇をうけることとなりました。

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号

となっています。

源氏は、天皇にはなっていませんが、ほぼ太上天皇と同じにふさわしいお方だとして、准太上天皇とされたのですね。

冷泉帝は、そこまでの称号を与えてもまだ足りないと思っていて、源氏が帝になれないのを辛く嘆いている場面が出てきます。

ということで、源氏はたくさんの女と色々恋をしたり、遊んだりしながらもほぼ頂点まで登りつめた。ということになりますね!!

平安時代の政治はあまりよくなかったといいますが、それはそれとしても忙しかったり、責任も重くて大変だったことでしょうが、女のもとへ通うのもせっせと通いながら、仕事もバリバリとこなす。

想像の源氏の君は、線の細い、色白の美しい女顔の貴族。というイメージですが、なんのなんの。非常にタフで女も男も口説くのが上手な精力的な男だったのかもしれませんね。

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