源氏物語・光源氏には実在のモデルがいた!?

紫式部が描いた類まれな美男子、光源氏。
身分、財力、美貌、優しく上品な振る舞い・・・。

誰しもが憧れ、たくさんの女性達をとりこにしてきた光り輝く君。
なんと、その光源氏のモデルとなった人がいるらしい。

本当ですか!?

一体、どんな人なのか知りたいですよね。
かっこいい人だったらいいなあ(*’▽’)

 

光源氏のモデルはたくさんいる

光源氏のモデルはこの人じゃないの!?という人は、わりとたくさんいました(~_~;)

光源氏のモデルかも??

源融(みなもとのとおる)

源高明(みなもとのたかあきら)

光孝天皇

藤原道長

藤原伊周

源光

嵯峨天皇

藤原実方

数ある説のうちの一人、源融(みなもとのとおる)について書いていきたいと思います。

嵯峨天皇の皇子「源融(みなもとのとおる)」

 

とおる。って昭和な感じの名前だとばかり思っていましたが、古くからある高貴な方のお名前だったのですね~。

とおるって言ったら、もう、風間トオルしか思い浮かびませんがね(;´Д`)いや、酒井くにお・とおるも思い出しました。笑。

この融(とおる)さん、嵯峨天皇の息子ととして生まれたのですが、

十二男であるということと、

母親が更衣の身分だったということで、

皇太子候補にはならなかったようです。

 

嵯峨天皇は50人も子供がいたそうで、産み過ぎで財政が厳しくなってしまったそうです💦💦仕方ないので、子供達を臣下にくだしたのです。

 

臣下に下った際に融(とおる)はという姓を賜りました。

 

子供が多いからという理由ではないですが、

母が更衣という身分だったり、

臣下にくだり源氏の姓を賜った光源氏と一緒ですね!!

 

さらに、源融(みなもとのとおる)さんは美男子だった(^^♪そうです。

うん。よかったよかった!


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源融(みなもとのとおる)の邸宅・河原院(かわらいん)と光源氏の六条院

 

政治の実権も握り栄華の頂点を極めた光源氏は紫の上をはじめ、数人の女達と暮らすために六条院という豪華な大邸宅を建てました。

その六条院があるところと、源融(みなもとのとおる)が河原院を建てたところは同じだろうと言われています。

現在は渉成園(しょうせいえん)になっているそうです。
東本願寺の飛び地の境内で、美しい庭園を見ることができます。

 

源融が生きていたのが、850年~900年あたり。

紫式部が活躍していたころは、990年あたり~1015年あたり。

 

100年近く経っていますね。

河原院は火災があったりして荒廃していきました。あれほどの栄華を誇っていた河原院だったのに今は荒れ果てて寂しい佇まいをみせている。と歌を残している人もいます。

今昔物語にも、河原院のシーンがあったりして、源融(みなもとのとおる)さんはとても有名な方だったのですね。

その今昔物語のシーンも、河原院で寝ていると、幽霊、亡霊、のように融(とおる)が現れる。

というくだりがあるのですが、

これがまた、源氏物語の夕顔と一緒に泊まった荒れ果てた邸と重なるのですよ。

 

そして、夜になると、物の怪の気配がして、夕顔が亡くなってしまう。

 

紫式部がまさに生きている時には、河原院は荒れ果てた邸だったかもしれませんが、それがまた一層想像力をかき立てることになったのではないでしょうか。

源融(みなもとのとおる)からインスピレーションを得て、光源氏のキャラクターを作ったというのは、かなり有力な説のように感じますね(^^♪

また、源融(みなもとのとおる)はどんどんと出世をして、左大臣になりました。
光源氏も、最後は上皇となり最高位の権力を手に入れましたね。

 

ちなみに、紫式部が生きていた頃の貴族は、よく宇治に別荘を建てられており、源氏物語の中でも宇治十帖は宇治が舞台となっています。

源融(みなもとのとおる)が別荘を建てたところが、今の宇治の平等院の場所だそうです。

光源氏のキャラクターはたくさんの男性のモデルをもとに、想像豊かに理想のステキな男性像として作られたものだと思いますが、源融(みなもとのとおる)は絶対入ってるだろう!!と思ったりして、

なかなか楽しいですね!!

ではでは。

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